約、一年半振りの山コーナーです。
お正月に少し長めの休みをいただき、ネパールへ行ってきました。
生まれて初めてのネパール、初めて間近に見る8,000メートル峰、そして現地の人々の生活等々、貴重な体験をしてきました。

ネパールトレッキングといえば、有名なエベレスト街道がありますが今回はそちらでは無く、アンナプルナサーキットの西半分であるジョムソン街道をトレッキングしてきました。

まず出発地点であるジョムソンまで行くのが大変です。
福岡より香港で乗り継ぎ首都のカトマンズへ、そこからポカラまで飛びさらに、ジョムソンまで飛びます。
4回の飛行でようやく到着した場所は別世界でした。

到着したジョムソン空港から300mほど登った地点より空港方面を望みます。荒涼とした景色とカラカラに乾燥した空気。日本には無い世界です。
中央やや右側に見える黒い帯が空港です。滑走路の長さが531mですので風景に溶け込んでほとんど見えませんね。
中央に見えている川には、上流の山から削られて流れ着いた岩石が転がっておりその中からアンモナイト等の海の生物の化石が見つかります。今でこそ標高8000メートルという世界一高い場所になっていますが、大昔は海底だったんですね。地球のエネルギーを感じます。

空港の正面にニルギリ南峰( 6839m)がそびえ立ちます。
見上げていると大袈裟で無く首が痛くなります

少し歩き違う角度から見上げるニルギリです。左のピークが 北峰( 7061m)です。
そして今回の目的である、世界第七位の高峰ダウラギリ(8167m)が見えてきました。

左上に顔を出しているのがダウラギリです。

トレッキング前半ではここまでしか見えませんが、後半に麓まで行きました。残念ながら、麓まで行ったときには天候が悪化しておりここまできれいに見ることは出来ませんでした。

今回の最高到達標高 3800mより眺めるダウラギリ(左端)

麓より見上げるダウラギリ山頂部です。
中央の白い部分は氷河です。

山も凄かったですが、現地の人々のとの触れ合いも強烈な印象でした。山を下りたポカラ等の町はそれなりに裕福ですが(それでも月収 2万円ほど)今回トレッキングした街道沿いの村々の人々は本当に貧しく(月収 1000円ほど)昭和初期の生活でした。今でも畑を牛が耕しており、子供達は薪拾い、家は石積みで窓は開いたまま(ドアがありません)
電気は最近来ましたが(それ以前に車が入れるようになったのがほんの数年前のことです)電気代が払えないため夜は暗闇です。もちろんテレビ等の家電品なんて有りません。
夜は氷点下まで気温が下がるのに、室内は外気温と変わりません。
薪は貴重な燃料のため、暖房のため使われることは少ないそうです。
家の一階は家畜小屋で2階が住居という典型的な農村建築です。

ちなみに、私が宿泊したロッジも暖房は無く室温は氷点下近くまで下がりました。一応ベットはありますが、布団は薄いせんべい布団1枚でありったけの服をだるまのように着込んで寝ましたがこんなに寒い夜は久しぶり(初めてかも)に経験しました。

村の方と食事の話をしていたときに
「食事は一日二食です。」
と言われて、理由が分からずうかつにも聞いてしまいました。
「一日三食などという贅沢は出来ません。」
と返事をされてしまい、頭を殴られたような衝撃を受けました。この日本で生活している我々にとって当たり前のことが、海外に出るとどれほど贅沢なのかと言うことに気付かされます。
普段はお米と豆が主食で、年に一度の正月に食べる鶏が楽しみだと嬉しそうに話していたのが印象に残りました。

農村の子供達です。
この後、二人で薪拾いに出かけていきました。子守をしながら薪拾いなんて今の日本では見かけないので色々と考えさせられました。

この村唯一の商店でトレッカー向けのおやつとして、プリングルス(ポテトチップ)が売られていたのですが、350ルピー(日本円で約350円、物流が悪く奥地では高価です)もしました。
現地の人々の月収3分の一で販売されているのを見て、複雑な気持ちになりました。

山は本当に美しく感動しましたが、それ以上に現地の人々との触れ合いが強烈な印象として残りました。貧しいのですがそれを気にしている風は無く、きれいな目をしており皆ニコニコしています。
声を掛けると胸の前で手を合わせて「ナマステ」と和やかに挨拶してくれ、言葉が通じなくても一生懸命コミュニケーションを取ってくれます。

物質的に満たされた日本では経験できない事をたくさん学べた、実り多い旅となりました。